桐生高等染織学校・桐生高等工業学校・桐生工業専門学校 時代
年 代
出 来 事
大正 9年
西田校長より小川芳太郎教授が同窓会設置の事務主任となり、設立の準備にとりかかる。校歌「関東八州」を設定。
大正10年
同窓会設立総会を開催。会則の設定、役員の決定をみる。初代会長に西田校長、副会長に小川教授を推戴す。商工専修学校附設。
大正13年
啓真寮火災にて全焼。
大正14年
本会が母校の手を離れ、独立する。初代幹事長に堀越勇次郎氏就任。同窓会誌第1号を創刊。母校創立10周年祝賀式典挙行。
大正15年
会誌第2号開校10周年記念号発刊。
昭和 2年
二代目幹事長に吉田善一郎氏就任。従来西田校長の主宰によって刊行された高工時報を同窓会にて発行することとなり、時報20号を発刊。同窓会誌を廃刊。
昭和 4年
機械科設置。
昭和 5年
三代目幹事長に安東幸二郎氏就任。主事に周東隆一氏が任命され、月刊の高工時報の編集に従事。この頃より各支部の活動活発となる。西田先生育英記念資金の贈呈を行う。10月開校15周年記念式典を挙行。幹事長は一年交代となる。
昭和 6年
四代幹事長に堀越勇次郎氏就任。別科を設置。色染料を色染化学科と改称。
昭和 7年
五代幹事長に吉田善一郎氏就任。この年同窓生1,000人を達したのを記念して同窓会館設立が有力化されたが実現されなかった。同窓会の事務室は幹事長の研究室にあったが、この年から、校内の一室に同窓会専用の事務室が設けられた。
昭和 8年
六代幹事長に安東幸二郎氏就任。旧織物学校卒業生よりなる泳窓会員および同校職員を本会の客員として迎える。西田校長勲二等叙勲祝賀会挙行。校旗樹立式挙行。
昭和 9年
七代幹事長に吉田善一郎氏就任。11月栃木、群馬両県下に於ける特別大演習のおり、母校へ天皇陛下の行幸があり、職員、同窓会員拝謁の光栄に浴す。
昭和10年
会の機構を改め、幹事長を理事長と改称。理事長の互選によって理事長を決定、任期を1ヵ年とし松島久一氏初代理事長に専任。新たに理事32名、庶務・会計・時報の分掌を決定。なお、この年行幸記念資金の募集に着手。
昭和11年
二代理事長に加賀山猪三郎氏選任。母校創立25周年記念祝賀計画の立案。会費年3円より4円に値上げ。
昭和12年
三代理事長に安東幸二郎氏選任。支那事変勃発、出征同窓生の慰問開始。西田校長の還暦祝賀会開催。行幸記念落成し母校へ寄贈の手続きをとる。
昭和13年
四代理事長に安東幸二郎氏選任。新たに副理事長制度を設けて富樫千春氏が副理事長に選任。創立25周年記念事業委員長に加賀山猪三郎氏就任。小川初代副会長逝去。
昭和14年
五代理事長に松島久一氏選任。事変の進展により創立25周年祝典も一時その挙行が危ぶまれたが、幹部の努力により強力に推進することになった。
電気科設立。
昭和15年
母校創立25周年式典挙行。大竹、西田両校長の胸像建立、25周年史編纂。会員数2,421名、支部数25となる。
昭和18年
六代理事長に富樫千春氏選任。大東亜戦争の勃発により、本会の運営不能となり、時報発行停止、会員との連絡断絶し、本会の存続危機に瀕す。造兵科設置、別科を廃止。
昭和19年
会名を桐生工業専門学校同窓会と改める。商工専修学校廃止。
昭和20年
七代理事長に富樫千春氏再任。終戦を迎え、世相の回復とともに本会も漸く生気を戻し、機能の回復に乗り出す。戦前の月刊の時報を廃刊して、会報を年4回発行。会費を年額10円とする。創立30周年記念式典挙行、西田校長退官。平田教授第三代校長となる。
昭和22年
母校の大学昇格運動起こる。卒業年別による終身会費を廃止、会費を年額20円とする。後に入会金50円、会費年額50円に改正。
昭和23年
八代理事長に新井幸長氏選任。群馬大学期成同盟会成る。会費年額200円に改正。

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